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2007年5月13日

般若心経解説(1)解題

 これから約30回にわたって般若心経の解説を行なう。ただし、理解のための要点だけを記した最低限の解説に留めようと思っている。

 ところどころで私独自の説も提示するが、ほとんどは一般的な説を紹介することに留めて、私独自の見解を展開していくことはほとんどしないつもりなので、私の説を括弧に入れて通読すれば般若心経のほぼ一般的な理解に至るだろう。だが、私の説をそのまま受け入れても、一般的な理解からかけ離れることはないだろうと思う。

 さて、我々が般若心経を読誦するとき、最初に「摩訶般若波羅蜜多心経」と題名を唱える。般若心経がどのような経典なのか、まずはそれをこの題名から解説していこう。


 摩訶とは、サンスクリット語のマハー(mahA;サンスクリット表記法はこちらを参照)の音写であり、「大いなる」という意味である。摩訶衍 ま か えん(マハーヤーナ,mahAyAna)を意訳して大乗というが、この経典は、まさしく大乗仏教の教理に基づいている。これについては経文の解説のなかで徐々に明らかにしていこう。

 次に、般若(プラジュニャー,prajJA)は「智慧」という意味である。それは、何らかの概念的な知識を得る(または持っている)という意味のジュニャーナ(jJAna)とは違い、概念を超えた認識、すなわち概念を介在させずにじかに物事の本質や真実の対象を知ることを意味する。

 そして、波羅蜜多の意味にはいくつかの解釈があり、「彼岸へ到った」「完成」「最上位」という説が提示されている。「彼岸へ到る」は伝統的な解釈であり、パーラミター(pAramitA)を「param(彼岸へ)+ita(行った)」の女性名詞化したものと見なしている。「完成」という解釈は、「pArami(完全な)+tA(~であること)」という理解で、最近はこの訳が一般的に用いられるようになってきている。「最上位」という解釈(田久保周譽『解説 般若心経』)は、「parama(最上の)+tA(~であること)」から合成された女性名詞ということになる。

 パーラミターには、道すなわち「彼岸へ到る過程」を意味するという解釈と、完成すなわち「彼岸へ到った結果」を意味するという解釈とがある。だがこれは、一つの事柄の二側面をそれぞれ強調しているにすぎないと思われる。目的地(結果)に到達してはじめてそれが道(過程)と見なされるのであるし、また、過程を踏まなければ決して結果は生じない。般若心経においても、最初はあれもこれも空であるという修行過程を延々と並べ立てて、最後にマントラによって最終的な目的地を表現している。

 ところで、般若波羅蜜多という複合語は、般若と波羅蜜多が文法的に同格関係にあるとされる。すなわち、「智慧を完成させること」などの意味ではなく、「智慧という完成」を意味するという。だが私としては、「智慧によって彼岸へ到った」という意味にとりたい。たとえばdeva-datta(提婆達多)が「神によって与えられた」という意味であるように、般若を具格(~によって,by ~)の意味にとりたいと思う。

 最後に、般若心経の心の原語はフリダヤ(hRdaya)であり、これはココロではなく心臓の意味である。そこから派生して「核心」「心髄」「精髄」「本質(エッセンス)」といった意味にとるとよいだろう。


 したがって、摩訶般若波羅蜜多心経は、「大いなる、智慧によって彼岸に到った(その道の)エッセンスの経典」という意味になる。


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