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2007年5月15日

般若心経解説(2)三種の般若

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 三種の般若はあまり一般には知られていない概念だが、仏教者が般若心経と関わる際に重要なオリエンテーションになると思われるので、取り上げておきたい。

 三種の般若とは、実相般若、観照般若、文字般若である。これは中国における華厳宗の大成者である法蔵が『般若心経略疏』で言及している分類で、以下のように言う。


三種の般若を以て宗と為す。一に実相。いわく、所観の真性しんしょうなり。二に観照。謂く、能観の妙慧なり。三に文字。謂く、上をせんするの言教げんきょうなり。

 さまざまな文脈で般若という言葉が使われるが、結局はこの三種類の般若のうちのどれかについて言っているのである。

 まず実相般若は、修行者によって観ぜられた真実の内容である。般若心経では、これは「くう」という言葉で一括されている。般若心経は、さまざまな対象が空であるということを、すなわち“空の世界”を教えているのである。それは、実際に般若波羅蜜多の修行をして直観的に知られるべき内容である。

 次に観照般若とは、そのような“空の世界”を知る智慧の働きである。実相を知るためには観照が必要である。仏教では主体を立てる表現形式を徹底して避けようとするのでこれは仏教的な言い方ではないのだが、実相般若を観照対象とするならば観照般若は観照主体である。見る者なくして見られるものはあり得ない。ここで、「見られるものはそれ自体として存在している」と反論する人もいるだろうが、“見る目”のない人にはそれは見えないのであり、その人にとってはほとんど意味をなさない。実相は、見る人の目がしっかりしていてこそ現われてくるのである。ここでいう“見る目”がすなわち観照般若である。

 文字般若は、これらの直観的な“空の世界”を少しでも明らかにするために言葉によって伝えられた内容である。したがって、般若心経それ自体もまた文字般若である。そこには実相の不完全な写しが書かれている。もしも般若心経のテキスト内容を完全に理解できたとしても、それは文字般若の域を出ていない。それは、実相般若や観照般若は言葉を超越した領域に存在するからであり、そこに至るためには般若波羅蜜多の修行をするしかない。

 訳もわからずただ般若心経を唱えていればいいというのもではない。たしかに経文を暗記しておけばいつでも思い出せるので非常に便利であるし、その意味が正しく把握できていれば、いつでもそれを反省指針とすることができる。しかし、それでもそれは一つの思想によって自己自身をチェックしているにすぎないのであって、それだけでは本当の“空の世界”は現われてこないし、また、“空の世界”を知るための観照能力が本来の働きを示すこともない。

 般若心経の解説書には、たいていは字義やその解釈しか書かれていない。しかし最も大切なのは、自分の般若心経とのつきあい方がどうなっているのかを知ることである。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、般若心経は知るのがさらに難しい。

 借り物の般若思想で自分自身や世界をチェックして、自分は“見る目”をもっている思い込む人も多いのだろう。しかし、それは自分で“見て”いるのではなくて般若思想に“見させられて”いるだけかもしれない。その背後に“”は存在しないか? その我が般若と一体になって“見る目”を形成したとき、その般若の内容は借り物の般若思想と同一であろうか? 本物の般若を得るためには、それに応じて主体が深く関わっていかなければならないし、しかもそれが空ぜられていなければならない。


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