« 般若心経解説(5)見五蘊皆空 | トップページ | 卍の意味 »

2007年6月23日

般若心経解説(6)度一切苦厄

~ シリーズ最初からよむ人はこちら ~ 

(漢文読み下し)

 一切の苦厄を度したまえり。


 
 度は渡るの意味である。したがってこの一節は、観自在菩薩が自らの一切の苦厄を川を渡って彼岸に到達したという意味にとれる。

 だが、この部分はサンスクリット原文には存在しない。したがって、漢訳者が何らかの理由で付け加えたことになる。

 ところで、これが仏教の教えに沿っていることの証拠として、立川 武蔵 『般若心経の新しい読み方』(p.119)は、こんな例を紹介している。
 

『ダンマパダ』(『法句経』) の中に、「一切の行は無常であるともし般若によって観ずるとき、もろもろの苦を厭離(おんり)する。すなわちこれが清浄への道である。一切の行は苦であるともし般若によって観ずるとき、もろもろの苦を厭離する。すなわちこれが清浄への道である。一切の法は無我であるともし般若によって観ずるとき、もろもろの苦を厭離する。すなわちこれが清浄への道である」(277番-279番) という文章がある。

このような思想がすでに原始仏教の時代にあったから、「度一切苦厄」という句が挿入されたのだろうとも考えられる。
 
 引用ついでにこれについて解説しておこう。もちろんこれは「諸行無常・一切皆苦・諸法無我・涅槃寂静」を含意するものだが、ここでは「涅槃に達する」ではなくて「苦を厭離する」となっていて目的地が中途半端である。般若を観ずるというのは般若心経と同じ手段をとっているとも言えるが、やはり原始仏教の“般若”(智慧)では行き先が中途半端であり、大乗仏教の“般若波羅蜜多”(彼岸に到る智慧)でないと完全ではないのかもしれない。

 しかし、他の経典を引っぱり出さなくても、般若心経自身がその思想を語っている。少しあとの部分になるが、「菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 …(中略)… 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」(菩薩の般若波羅蜜多に依るがゆえに …(中略)… 恐怖がなく、一切の本末転倒の夢想を離れて絶対の安心に入る)とあり、般若波羅蜜多によって物事の実相を見て苦しみ等のない境地に至るということが実質的に言われている。
 
 このような理由から、この一節を漢訳者が勝手に付け加えたとしても、少なくとも元々の般若心経の思想を逸脱したものではなかったと言えるだろう。では、何のために付け加えたのか。私としては、観世音菩薩の救済的側面と結びつけようとしたのだろうと思っている。

 まずは、智慧による自己救済を明らかにする。すなわち、般若波羅蜜多によって五蘊に自性がないという知見を得た結果として一切の苦厄を越え出た、ということを明示するのである。そして、この経典の度一切苦厄までが観自在菩薩の自利行ならば、この後の舎利子から最後までは観自在菩薩の利他行を表わすことになる。他者に空を悟らしめて彼岸へ渡すのが観自在菩薩の説法であり、この説法そのものが利他行なのである。

 一切の苦しみの解消法が、じつはこの空の認識にかかっている。観世音菩薩が慈悲深いのも、この智慧が背後にあってのことである。とくに観(世)音菩薩と呼ばれる場合には、苦を帳消しにしてくれるようなイメージになっているが、実際には一切の空を衆生に悟らせることによって苦しみに縛りつけられている状態から自由にさせてやろうとしているのである。

 
 


 
 
 
人気ブログランキング
↑多くの人に読んでもらいたいので、この記事が参考になった方はぜひクリックをお願いします。
 
 
般若心経関連の書籍をお探しの方は、
おすすめ仏教書 空の思想と論理学」へどうぞ。

  
招待制の仏教系SNS      分野別・難易度別に整理
SNS仏教談話ネットワーク  おすすめ仏教書

 
 
 


|

« 般若心経解説(5)見五蘊皆空 | トップページ | 卍の意味 »

般若心経」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/68705/15536735

この記事へのトラックバック一覧です: 般若心経解説(6)度一切苦厄:

« 般若心経解説(5)見五蘊皆空 | トップページ | 卍の意味 »