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2008年3月16日

流転門・還滅門と順観・逆観

 今回は十二縁起の観法について。ネット検索すると、流転 る てん門=順観,還滅げんめつ門=逆観と見なされているようなのだが、ちょっと違うんではないかと思うので、とりあえず書いておきたい。
 
 
 十二縁起とは「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」という因果の連鎖だが、無明→老死という方向の観法が順観、老死→無明という方向の観法が逆観ということになる。
 
 さて、ダライラマ14世テンジン・ギャムツォ著『ダライ・ラマの仏教入門』(光文社1995年版のp.32-38)によると、

(1)不浄化のプロセス 縁起の順観 集諦
    無明によって行が生じ……生によって老死が生ずる。

(2)不浄化のプロセス 縁起の逆観 苦諦
    老死は生によって生じ……行は無明によって生ずる。

(3)浄化のプロセス  縁起の順観 道諦
    無明が滅すれば行が滅し……生が滅すれば老死が滅する。

(4)浄化のプロセス  縁起の逆観 滅諦
    生が滅すれば老死が滅し……無明が滅すれば行が滅する。


と分類されている。

 また、水野弘元著『仏教要語の基礎知識』(p.180)では、流転縁起が上記の不浄化のプロセスに相当し、還滅縁起が上記の不浄化のプロセスに相当している。
 
 ちなみに、「流転」とは迷いの世界が展開することであり、「還滅」とは迷いの世界が滅することである。したがって、流転は無明から老死に至る方向性が含意されているのであろうし、その逆である還滅は、老死(の滅)から無明(の滅)に至る方向性が含意されているのかもしれない。ダライラマの本では、不浄なる事物(有漏法)の観点からと清浄なる事物(無漏法)の観点から、不浄化のプロセスと浄化のプロセスとが考えられている。だから、両者に流転と還滅という命名をしたのがそもそも不適切であったのかもしれない。有漏門(有漏縁起)と無漏門(無漏縁起)とでも言ったほうが正しかったのかもしれない。
 
 
 
 まだ経論を確認していないので、なぜこういう用語の混乱が起こってきたのか、あるいは私が何か勘違いしているだけなのかよくわからないが、とりあえず問題点を指摘だけしておきたい。
 
 
 
 
  
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コメント

仏教談話ネットワークのSNSに参加したいのですが、招待してくれる人が居ません。

投稿: とみやま | 2008年3月18日 13時36分

仏教談話ネットワークのSNSに参加したいです。

投稿: MT | 2008年3月22日 08時41分

SNS仏教談話ネットワークは招待制ですが、
知り合いのSNSメンバーがいなくても参加可能です。

参加ご希望の方は各ブログ記事の末尾のバナーリンクから
http://buddhism.sns.fc2.com/
で規約を御覧になり、趣旨をご了解いただいた上で、
そこからリンクしている掲示板「露地」にご発言ください。

仏教関連の記事を書いている自分のブログを持っていれば
すみやかに招待メールを送りますが、
そうでない場合は何度か対話をさせていただきます。
不適切な人を参加させないための措置ですのでご了承ください。

投稿: 金剛居士 | 2008年3月22日 13時15分

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