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2008年6月30日

『ダライ・ラマ 思いやりのある生活』を読んで

 

ダライ・ラマ 思いやりのある生活

 

 これは初級者にお薦め。前半は一般的なことが書かれていて、後半は仏教の基本が書かれている。四聖諦、『入菩提行論』、『ロジョン(心を鍛練する八篇の詩)』などがごくごく簡単に解説されている。『ダライ・ラマ 慈悲の力』よりもさらに入門的。これらの本は仏教修行の実践の指針のようなものだから、仏教徒は本来どのような生き方をすべきなのかが分かる。


 今回もまた、基本的な部分だけ少し引用してみよう。(専門的な細かい論点はSNSの日記で論考することにしている。)


 まず、思いやり(compassion)と愛情について。

思いやりとは、他者が苦しみから解放されるように願う気持ちです。そして、愛情とは、他者が幸せを掴むよう望む気持ちです。(上掲書 p.34)

 愛情が「慈」で、思いやりが「悲」であることは一目瞭然だろう。だが、愛情と見えたものがじつは愛着(執着)だったという場合もある。

 結婚生活でさえ、ことに互いの性質が十分に分かっていない新婚の頃では、夫婦間の愛情は真の愛情よりも愛着に左右されています。結婚生活が長続きしない場合は、そこに思いやりがないからです。その結婚生活は、自分の主観の投影と期待が根底にある情緒的執着がつくり出したもので、自分の考えや感じ方が変われば、たちまち愛着は消滅してしまいます。人の欲求は非常に強く、実際には欠点がたくさんあっても愛着を覚えている相手は完壁な人物に映ります。しかも、愛着のおかげで私たちはちょっとした長所も過大視してしまいます。こうなった場合、何が露呈されるかといえば、その愛情の動機づけとなっていたのは個人的な要求だったということです。他者を思いやる真の関心が駆り立てた愛情ではなかったのです。(上掲書 p.38-39)

 これは、親子関係にも当てはまるのではなかろうか。子への愛着というものは非常に強いものである。自分のニーズに基づき、自分の主観的な子どもイメージに期待をかけて愛したつもりになっているだけであることも多いと思われる。

正真正銘の思いやりとは、自分自身の主観や期待に基づいているのではなく、むしろ他者のニーズに基づいています。相手が親友であっても敵であっても関係なく、平安や幸福を願い、苦難に打ち勝ちたいと望む。そう思う限り、この切望を基盤として私たちは問題と真に係わり合えるようになります。これこそが、本物の思いやりというものです。(上掲書 p.40)

 自分の子どもや親友などへの思いやりは比較的保ちやすい。しかし、問題は敵にまで思いやりをもてるかということだろう。

思いやりや思慮や忍耐は立派な志だと考えているだけでは、育むのに十分ではありません。困難なことが起こるのを待って、それから思いやりなどを実践してみるのです。(上掲書 p.47)

 ということで、大乗仏教の根本である慈悲心(愛情と思いやり)を育てるためにはひたすら忍耐の訓練。(苦笑) それについて要点だけを紹介しているのが、この本の後半部分である。

 私たちのいう「心」は、たいへん特異です。ときおり、ひどく頑固になって変化することに逆らいますが、絶えまのない努力と動機に基づいた信念があれば、ときに人間の心は非常に正直で融通のきくものとなります。変わる必要があると正しく認識すれば、心は変化するのです。しかし、願ったり祈ったりするだけでは心は変わりません。結局、あなた自身の経験に根ざした動機や理由が必要です。また、一夜にして心を変えることもできません。古くからの習慣とか、とくに気質はすぐに解決しようとすると抵抗します。信念をもって時間をかけて努力すれば、心的態度 (心構え) を大きく様変わりさせることができます。(上掲書 p.36)

 「そんな苦労する話じゃ、読まねえ!」などと言わないで、考え方だけでも頭に入れておくのがいいのではないかと思う。とりあえず頭で理解しておいて、ほんのわずかでも実践することに価値がある。仏教とは、苦しみに打ち勝つために心を変革する道である。心の変革に応じて苦しみも減ってくる。反対に、いつもは何の努力もしていないのに「苦しいときの神頼み」というのは、たいてい通じないものである。(^^;

 どこにいようが宗教的メッセージや教義は、自分とともにあらねばならないのです。いいかえれば、宗教の教えは私たちの生活の中に存在する必要があります。そうすれば、天恵や精神的強さが必要なときには、教えと教えの影響力は自分の側に存在しているでしょう。困難にぶつかったとき、教えが身近にあるのも、教義はつねに自分とともにあるからです。
 宗教が生活に欠くことのできない一部となったときに初めて、宗教は効力を発揮します。(上掲書 p.78)

 こうやって引用してくると、悟りへの道は遥か彼方にありそうで気が滅入るが、ダライ・ラマがツォンカパ『菩提道次第広論』のこんな箇所を引用しているのには勇気づけられる。

「他者の安寧が実現するよう第一に考えて行動し、思索していけば、その者自身の大志の達成や充実感は、ことさら努力する必要もなく副産物として生じてくる。」(上掲書 p.29)

 自分だけ悟りを開いて楽しようというケチくさいことを言わないのが、大乗仏教の精神というわけだ。
 
 
 
 


 
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