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2008年6月 4日

『ダライ・ラマ 慈悲の力』を読んで

 これは初級者向き本である。(ここでいう初級者とは、仏教を少し勉強してみようかなと思い立ったばかり人である。) 前半部分は世俗の常識レベルでの話であったり科学者との対話であったりして、必ずしも仏教の教えを直接に扱っているわけではない。後半部分は仏教の話であり、『般若心経』と仏教の基本的教学について論じている。仏教を知りたいと思っている人にとって前半は物足りないだろうし、後半は初級者にはちょっと難しい部分があるかもしれない。


 おもしろかった部分を少し引用してみよう。


 まず、宗教が戦争を起こしていることに関してのダライ・ラマの見解である。一神教だから争いが生ずるのではないかという見解が多いが、さすがは僧侶だけあって、信者の態度に注目する。

 私は、この世界のすべての主だった宗教の伝統は、同じことを説いていると思います。それは、慈悲の心であり、愛であり、許し、人間性、満足を知る心、自己規律などです。ですから私は、すべての主な宗教は、この世界により多くの幸せや善きものをもたらすことができる、同じ可能性を持っていると信じています。
 しかし問題は、宗教を受け入れている人たちの多くが、自分が信心している宗教に対して、真摯な態度を持っていないことだと思います。それぞれの宗教が説いている教えは、その信者たちに伝えられているはずなのに、信者たちがそれを充分真摯な態度で受け取らず、ただ私は仏教徒である、キリスト教徒である、イスラム教徒である、と口先で言っているだけで、修行の実践を怠っているように思います。
 ですから、宗教を信仰していると言う人たちの見解や感情には、教えの効果が何も現れておらず、信者たちの心はいまだに変わっていません。そして、何かが必要な時に、その目的を達成するために宗教の名を利用する人が出てきます。ある時は経済的な理由から、ある時は政治的な問題から、あるいは権力を得るために宗教を利用しているのであり、それが問題になっているのだと私は思います。
(前掲書 p.78-79)

 私としては、まさしくその通りだと思える面もあるが、やはり一神教が自己の絶対性を主張する心理を内包させている面もあると思う。宗教には、自分が絶対に正しいという頑なところがあり、その頑さが衝突することはあるのではないかと思う。ただし、アメリカとイラクの戦争などは、ずっと世俗的な利権争いが原因ではないかと思う。そのなかで自分が絶対に正しいことを主張するために宗教が山車に使われているだけだろう。イラクは物量では敵わないから民族精神の求心力としてイスラム教が使われているのではなかろうか。


 次は、因果応報の考え方に対する問いかけである。「立派で良いことをしている人が晩年などに不幸な目にあうのはなぜか」という問いへのダライ・ラマの答えは、他者が幸福に見えるのは本当に幸福なのかという疑問によって無力化されている。

 幸せには、いろいろなレベルのものがありますし、肉体的な幸せと精神的な幸せの違いもあるのです。
 たとえば、物質的なものに恵まれて、快適な暮らしができる因や条件がすべてそろっていても、心の中が幸せかどうかを表面から推し測ることはできません。外的にはすべての良き条件がそろっていて、傍から見るといかにも幸せそうに思える人でも、心の中には不安や心配事が渦巻いている、というようなことが実際にはたくさんあるのです。

……〔中略〕……

 このように人の幸、不幸は様々であり、傍から見て幸せそうだとか立派な人だとか思っても、実際には確かなことはわからないのです。ですから他人のことを幸せな人だと羨んだり不公平なように思って憤ったりすることは、あまり意味のあることではありません。

(前掲書 p.195-197)

 これは、答えを誤魔化していると思う人もいるかもしれない。しかし、仏教は空の認識を基本とする。たとえば豪邸を所有しているとか財産が多いとか、幸せという確固たる状態があると思い込んでいる人も多いが、実際には幸せは外的条件によって必ず得られるというものでもない。あらゆる“幸せの形”が、「本人がそう思っている(分別している)だけ」にすぎないのかもしれない。それが必ずしも幸せにつながっているわけではないと気づかせることによって、盲目的に幸せの形を追求する貪欲さが解消されていくだろう。仏教とは、そのような教えである。

 ダライ・ラマは、それを教学的には以下のように説明する。

 私たちの心には、とても強い煩悩が湧き起こってくることがあります。そのような時の私たちの心は、その対象物を、独立した実体を持ってそれ自体の側から存在しているかのようにとらえているのです。そのように対象に実体があると思い込む心が働くことで、煩悩は起こってくるのです。ですから逆に、対象に実体があると思い込んでしまう心が働かない限りは、煩悩が起きることはない、と釈尊は説かれています。
(前掲書 p.124)

 実体がないとは、「それが空である」という意味である。幸せを求めて金持ちになっても心が空しいままということもある。


 もう一つ、因果応報の考え方に対する疑問への答えを引用しておこう。それは、「気持ちの貧しい人や意地の悪い人が経済的に恵まれていたりするのは、因果応報の観点からどうなのか」という問いに対する答えである。

 人に嘘を言ったり、人を騙したりしているのに、富を得て裕福になっている人もいます。しかし、その人が裕福になった原因は、以前に積んだ徳の力によるものなのであり、人を騙したという悪い行ないは、一時的な条件となっているのにすぎません。
 つまり、以前に徳を積んだことが因となって、今生でお金持ちになる可能性を持っていたわけであり、それが実現するための条件として、人を騙したり、ずるがしこく立ちまわったり、人と争ったり、権力を用いたりなどしたと考えられます。そして、今一時的に富を得ることになったのです。
 ですから、様々な因と条件が寄り集まった結果として、その人は裕福になったのであり、裕福になれた主な原因は、以前に積んだ徳の力であって、人を騙したことが直接の因となってお金持ちになったのではありません。
 あの人は人を騙し、悪知恵を働いたから金持ちになったのだ、などと人は言いますが、一つの結果が生じるためには、一つの因だけではなく、たくさん因と条件が必要とされるのであり、その人が今他人を騙したりしている悪い行ないの結果は、後になって生じてくることになるのです。
(前掲書 p.197-198)

 これもインチキくさい説明だと思う人も多いだろう。そもそも輪廻転生を認めない人にとっては、前世に積んだ善業も、来世に生ずる報いもあるはずがないからである。今生のみで考える場合には、因果関係は不明ということになるか、一部の原因(因縁)のみが考慮されて因果関係が説明されることになろう。たとえば、持って生まれた悪運の強さが原因などと説明されるが、それではなぜ悪運の強さがその人に生じたのかは説明できない。そこは客観的な因果説明よりも修行実践上の問題だろうと私は思うのだが、今回ここでは論じないことにする。


 この本では、仏教の歴史を三段階にわけて整理している。すなわち、四聖諦に代表される原始仏教の第一法輪と、『般若経』に代表される空の教えの第二法輪と、『如来蔵経』や『解深密経』に代表される如来蔵(仏性思想)・唯識の第三法輪である。

 「人間の本来の心は清浄なものであり、煩悩によって汚されているのだ」という仏性思想は、「自性清浄、客塵煩悩」と言いならわされている。それに関する事柄をダライ・ラマは以下のように説明している。

 対象物を知ることができるという本質を持つ心が、慈悲の心などに影響されると、それは良き心となり、執着や怒りなどの悪い心の影響を受けると、その心は煩悩におかされて、心はかき乱されてしまうのです。
 このような理由から、本来の私たちの心は、光り輝く汚れなき本質を持つものである、とされています。つまり、心の汚れは一時的なものなので、心の本質として本来的に備わっているものではなく、心の汚れをなくすための対策も存在するのですから、心の汚れは取り除くことができるのです。
(前掲書 p.162)

 その取り除く方法とは、真実を見る智慧によって滅するという方法である。ナーガールジュナ『法界讃ほっかいさん』によると、

 執着などによって汚されている心と、もののあるがままの姿を見る智慧は、ものの見方において矛盾するものなので、智慧によって汚れた心を滅することができます。
 そして原初からの本源的な心は、もののあるがままの姿を見る心と矛盾するものではなく、その心は常に存在しています。その心の上に一時的に存在する間違ったものの見方をする心 (汚れた心) は、その対策となる智慧によって、滅することができるのです。
(前掲書 p.165)

 智慧といっても、それは対象が空である(実体がない)ことを確認するものだから、結局は般若の智慧の応用である。


 その他いろいろと解説したい部分も多いが、あまりたくさん引用をするわけにもいかないだろうから、これくらいにしておく。仏教は非常に深遠なる教えだし、修行も非常に長くかかる。今生で完了することはまずないだろう。修行法を一つ一つこなしていこうとして卑近で具体的なものだけに目を奪われていると、修行の森に迷い彷徨うということにもなりかねない。その意味でも仏道修行の大枠は是非とも掴んでおいてほしいものである。

 
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