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2008年7月30日

『お布施ってなに?』を読んで


藤本晃『お布施ってなに?―経典に学ぶお布施の話

 「坊主丸儲け」などという言葉があるように、僧侶はなんでもタダで貰っているという批判が多い。それは、僧侶の読経や説法に一般人がなんら有難みを感じなくなったからという理由もあろうが、それ以前に布施の意味が全く理解されておらず、読経や説法に対する“お返し”のようなニュアンスで昔からずっと捉えられてきたからだろう。布施とは、字義どおりには“与える”ことだが、その本来の形は“見返りを求めずにただ与える”ことを意味すると言える。見かけ上は取引のように見えても、その心を重視するならば、信徒は見返りを求めずに僧侶や宗門に与え、僧侶は見返り(お布施という返礼)を求めずに読経や説法をする。

 この本は、そんな原則論が書かれた初心者向きの本である。うがった見方をすれば、「たとえ坊主がろくな活動をしていなくても布施をすることには意味がある」と坊主が自己正当化をしているようにも見える。しかしながら、布施の本来の意味も知らずにケチをつけるよりは、このような基本的知識を得たうえで批判してもらいたいものである。


 この本は、経典に則りながら初心者向きに易しく丁寧に解説している。

 与えるところからすべての関係が始まる。害を与えたら悪い関係が始まるから、良い関係を築くためには当然のごとく善いものを与えなければならない。また、善い事を実践すると自分の心も晴れやかになる。そのようにして外的にも内的にも善い状態を作っていくのが布施行の眼目だと言えよう。

 布施をする人(施主)に関して重要なのは、布施をする心構えや動機である。この本では、「恐れてお布施します」「お布施は善行為だからお布施します」など、布施の動機が八種類あげられている。また、「欲でお布施します」「『お布施をすれば死後、善趣・天界に生まれるでしょう』と考えてお布施します」など、布施するときの心の状態も八種類あげられている。布施は心に功徳を積む修行だから、きちんと功徳を積むためには布施をする動機やそのときの心の状態も重要になってくる。

 布施を受ける人に関しても個人の部と団体の部でランクづけがなされている。個人の部に関しては、如来・独覚から始まって四双八輩(阿羅漢や預流など)、そして凡夫の破戒者や畜生に至るまでのランク解説も簡単になされていて、それはそれで教義の勉強になるのではないかと思う。団体の部に関して言えば、「将来には、首に袈裟の布切れを掛けた、名ばかりの、破戒の悪法者たちが現われるはずです。」と釈迦が予言したこの最低ランクの悪法者こそが現代の日本の坊さんたちであると、著者は自省している。そう言えるだけ偉いが、そんな末法の時代の中で最も功徳のある布施は、仏陀の法灯を伝持している集団としての僧伽(サンガ)に布施をするという気持ちで布施することである。

 そのほか「お布施の疑問あれこれ」の章では、「『三輪清浄』のお布施って?」「ダマされてもお布施になる?」「どこにお布施したらいいのかわからない」「お酒をお布施してもいいの?」など、仏典に書かれていない実際的なことにも答えている。


 最後に、どんな語り口なのかをサンプルとして提示しておこう。

 どんなにたくさんの財産があっても、自分が死ぬときにはどうせ全部置いていかなければならないのです。途中でどれだけがんばっていても、最後にはかならず、全部奪い取られてしまうのです。
 それなら、いっそのこと自分から先にお布施して、功徳をがっちりつくっておくほうが賢明です。功徳は心に生まれますから、心だけは自分のものですから、死んでも次の世界に持っていけます。国に没収されたり、盗賊に盗まれたり、火事に焼かれたりする心配もありません。
 金品はみんなこの世界のもので、この身体もこの世界の物質で、死ぬときにはみんな置いていかなければなりません。心と、心に入っている一生分の功徳(と悪徳)だけ、来世に持っていけるのです。死出の旅路で頼りになるものは、自分の心に蓄えた功徳だけです。
 この世で生きていくには必要ですから、がんばって蓄えた金品をスッカラカンにすることはありませんが、生きているうちに少しずつ、金品を功徳に両替えしておくと、なにごともみんなと分けあいながらこの世を楽しく生きることができ、死出の旅路も楽しく渡ることができるのです。(上掲書 138-139頁)

 やっぱり坊主側の都合のいい理屈だろうか?(^^ゞ 「人間、死んだらそれでおしまい」と思っている人なら布施なんかバカバカしいだろうが、もしも死後の世界を少しでも信じているのなら、自分の心に功徳を積むという観点から布施行を実践するのもいいのではなかろうか。死んでから戒名を付けてもらい、遺族がたくさんの布施をしたところで、死出の旅にどれだけ役立つか分かったものではない。たくさんの金額を出さなくてもいいから、たとえ小銭であっても見返りを求めずに賽銭箱に投げ入れて、自分の心に功徳を積んでいる感覚を少しずつでも養うのがいいのではないかと思う。そして、この本は、そのような布施感覚を養うためのきっかけになるのではないかと思う。

 ちなみに私は、金品の布施よりも瞑想行を重視すべきであるという立場である。たとえば慈悲の瞑想行をやっているうちに、布施の意味や感覚もよく理解できるようになるからである。功徳を積むために布施行を実践しようと思うのは、それからでいいのではないかと思っている。そのほうが自らの資材を布施として有意義に使えるだろう。


 
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