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2008年8月15日

『功徳はなぜ廻向できるの?』を読んで


藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?―先祖供養・施餓鬼・お盆・彼岸の真意

 上記アマゾンのサイトでは、私のこの記事よりも詳しいカスタマーレビューの記事があるので、興味のある方は参考までにどうぞ。
 
 
 
 さて、お盆の季節は坊主のかき入れどき。わけの分からんお布施をさせて、その功徳を先祖の霊に廻向して供養すると称して、坊主丸儲けの商売が盛んに行なわれる時期・・・。(^^ゞ

 しかしまあ、坊主には坊主の言い分があるわけで、それを明らかにしようとしたのがこの本。私はべつに坊主の片棒をもつわけではないが、この本は経典に則りながらうまく廻向のメカニズムを説明できていると思う。


 まず、先祖は死後、自分のカルマによってそれぞれの場所に生まれ変わっているとされるが、肉体のない霊魂のような存在状態の転生では天界か餓鬼界か地獄界にいる。そのうちで、天界に生まれた先祖は安楽な暮らしをしているので、布施の功徳を廻向される必要はない。地獄界にいる先祖は苦しみもがくばかりで、布施の功徳を受け取れるような状態ではない。布施の功徳を廻向して意味があるのは、餓鬼界にいる先祖だけである。だから、父母などが餓鬼界にいない場合を考えて、空振りにならないよう廻向はできるだけたくさんの先祖にしたほうがいい。

 さて、仏教は自業自得・因果応報の論理で貫かれているが、この原則からいって、他者に自分の善行の功徳を廻向して分け与えることができるのかという問題が出てくる。これに関しては、誰かの行なった布施という善行を餓鬼が随喜する(他者の善行を喜ぶ)ことによって、餓鬼自体が善行をしていることになるのだという。『餓鬼事経』などには、誰かが僧侶などに布施をしてその功徳を餓鬼に廻向することによってその餓鬼が即座に天人に生まれ変わるという話が出てくるが、これは随喜という善行が因となって天人に生まれ変わるという果が生ずるのだそうだ。

 私よりもはるかに説明が平易なので、少し引用してみたい。

 人間のような身体をもたず、ただ前世の悪行為の苦果を味わうだけの餓鬼道では、自分でほかの餓鬼たちに布施などの善行為をしてその功徳で救われることはできません。人間界の縁者など自分がコンタクトできるだれかの善行為をいっしょに喜ぶ、随喜という心の善行為をつくるしか、功徳を生むチャンスはありません。
 しかも、おそらくケチや嫉妬、やっかみなどのために餓鬼に生まれたからでしょう、餓鬼は他人の善行為をただ素直に喜ぶことはできないのです。他人の善行為がわざわざ「あの餓鬼のためになりますように」と、自分に振り向けられ、廻向されたときだけ、「ああ、この布施の善行為はすばらしい」と共鳴して、やっとすなおに喜べるのです。(上掲書 96-97頁)

 欲張りにとっては、誰かが自分以外の人に何かを与える行為は善でもなんでもないが、自分に何かを与えようとする行為だけは善行だ。賄賂は自分に回ってくる場合は善で、それ以外は悪というようなものだ。(笑) かくして餓鬼は、自分に廻向してくれているかぎりで他者の布施行を善行として喜べる。

 そうすると、布施の善行を少しでも多くの餓鬼に随喜してもらうためには、「一切衆生のために」と宣言するのがいちばん良い。そうすると、たまたまその善行を知った餓鬼は、すべて自分のために布施がなされているのだと思って随喜でき、救われることになる。

 面白かったのは、中陰(人が死んでから生まれ変わるまでに霊魂のさまよっている状態)の正体が餓鬼道である、と著者が結論づけている点である。ふつうは49日かそこらで生まれ変わることになっているが、なかには何年も何十年も何百年も餓鬼界という中陰を彷徨っている霊魂もいるのかもしれない。


 さて、お盆にはご先祖様が帰ってくると信じられているし、ひょっとしたら餓鬼界から救いを求めてやって来るご先祖様もいるのかもしれない。この時期、布施と称して坊主に金品をせしめられる運命の人は、もとをとるためにも、せめてその功徳をできるだけ多くの親類縁者に廻向すると宣言することをお薦めしたい。まあ、坊主にたくさん取られても、それで一人でも多くの親類縁者が救われることになるのなら、それでよしとしよう。(苦笑) ちなみに、布施は布施として功徳があるとされるので、どうせ取られるのならば大きな功徳があるような形で布施をすることをお薦めしたい。それについては参考までに 『お布施ってなに?』を読んで をどうぞ。


 またまた私は坊主の片棒を担いでしまったのだろうか。(^^; 死後の霊魂なんてあるのかとか、餓鬼なんているのかなどを問題にしないときちんとした答えになっていないような気もするが、とりあえず霊魂の存在を信じる人にとっては、これで十分に説明になっているような気がする。少なくとも坊主の法力によって天界に生まれ変わらせるのではなくて、餓鬼自身の随喜という善行によって天界に生まれ変わるのだから、法力なんて期待できない糞坊主に対する布施でも効果がありうるという結論にはなるだろう。――これも餓鬼界に堕ちた先祖が随喜するだけの素直な心をもっていればの話だが。(^^;



 
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