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2008年12月19日

般若心経解説(10)色即是空 空即是色

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(漢文読み下し)
 
 色は即ち空なり、空は即ち色なり。
 
(梵文和訳) 
 
 色であるところのもの、それは空性であり、空性であるところのもの、それは色である。
   サンスクリットの般若心経では、ここには関係代名詞が使われている。したがってこの和訳でも、「~ところのもの」というお決まりの翻訳的言い回しを使っておいた。原文は以下のとおり。(サンスクリット表記法は こちら を参照)
yad rUpaM sA zUnyatA  yA zUnyatA tad rUpam
 ちなみに、このサンスクリット語を英訳すると、たとえば“What is form (that) is emptiness; what is emptiness (that) is form.”となる。昔は指示代名詞のthatを使ったが、現在の英語では間違いとされる。サンスクリットの般若心経では、昔の英語と同じく指示代名詞(sA,tad)の入った構文になっている。

 この“what”は一般に“the thing which”に置き換えると分かりやすいが、ここでは“the X which”に置き換えて訳し直してみる。すると、

the X which is form (that) is emptiness; the X which is emptiness (that) is form.
となる。この一節では“the X”という未知のものが重要なポイントとなる。

 「色であるところの未知のものX、“それ”が空性であり、空性であるところの未知のものX、“それ”が色である。・・・・・さあ、“それ”とは何か、参究せよ!」といったところだろう。

 色であるとか空性であるというのは、じつは分別の結果の概念的な認識である。しかし、ここで提起された“それ”とは、そこから概念的な認識が生じてくる当体である。あえて言葉にするならば、対象の実相とか真如とかいうことになる。それを概念的なレベルに落としてしまえば、「色は空性であり、空性がまさしく色である。色と異なることはない、空性は。空性と異なることはない、色は。」という経文が指し示すものと同じになってしまうが、概念に基づいた分別世界を超越した“それ”を発見したとき、そこには分析的な理解を超えた実相が浮かび上がってくるだろう。色即是空がわかるということは、そういう実相と出会うことを意味する。
 
 私が使っているベン図では、いずれも分別レベルでは3の領域を示そうとしているのだが、この「色即是空 空即是色」の場合は、いわば3の領域を通した向こう側(PCモニターの裏側の空間?)を“それ”として指し示しているのである。 

色と空(2)

 ここに示されている二つの円は、いずれも概念としての色であり空性である。二つの円の重なった部分もまた、「形をもちつつ変化するもの」とか「存在しつつ実体をもたないもの」などのように、概念としての存在である。ところが真実の対象Xは、そんな概念的な分析を突き破った彼方にある。私が以前に使った言い回しで言うと、領域3は“有るがままに有る”ことを意味し、彼方の“それ”は“無いがままに無い”ことを意味する。

 「概念を超えた対象がどこか彼方に“有る”」と考えてはならない。“有る”と考えたらすでに概念的思考に陥ってしまって真実の対象を捉え損なっているからである。だから、これも方便としての解説である。「分別する凡夫においては、認識主体と真実の対象Xとの間に概念が挟まってしまっている」という事態を説明するために“概念の彼方”と表現しているだけである。そして、“無い”といっても有無の判断で無と判断をしているのではなく、判断活動の停止や、その停止によって現われてくるものを意味している。
 
 
 サンスクリットの般若心経では、

(1)「色は空性であり、空性がまさしく色である。」
(2)「色と異なることはない、空性は。空性と異なることはない、色は。」
(3)「色であるところのもの、それが空性であり、空性であるところのもの、それが色である。」
の三段階で説かれている。その指し示す対象領域は、ベン図ではいずれも領域3に相当するが、それを捉える側の認識論的な視野が微妙に違う。三段階の説明は、色であれ空性であれ、それらの概念からそれらの真如へと導こうとした軌跡なのである。正確さには欠けるが、これを生死の喩えで説明していこう。
 
 (1)の場合、たとえば生死で考えると、「人間は生きるものであり、死ぬものである。」となろうが、そのとき多くの人々は生きている相と死んでいる相とを別々の時間に想定し、両者が別々であるかのように考えがちである。今生きている人間はずっと生きていて、今死んでいる人間はずっと死んでいる、と思ってしまう。同じ人間であるにもかかわらず、「生きている」という相を恒常普遍化し、「死んでいる」という相を恒常普遍化したいがために、生滅する人間という捉え方がなかなかできない。二つの円が重なった部分といっても、それはちょうど円形をした二枚の紙が重ねられているようなものであり、生の円と死の円は相互に独立な存在として自らの円を頑固に主張しているようなものである。「誰かが無理やり重ねているからいけないんだ!」と言っているかのようである。そんな中で、一生懸命ふたつの概念を重ね合わせようとしている段階である。
 
 (2)の場合、両者が互いに浸食されているという意味になろう。永遠の生はありえない。一方、仏教では前世のカルマによって転生(再生)があるから、永遠の死もありえない。必ず生は死によって浸食され、死は生によって浸食されている。ここでは、「生きている」という相の恒常普遍化も、「死んでいる」という相の恒常普遍化も、崩されてきている段階だろう。いわば、生の円と死の円は一部分がぴったり貼り合わされてしまい、相互に独立な存在として自らの円を頑固に主張することができなくなってきている段階である。しかも両方の円が互いに他方の円の独立性を否定しつづけるのだから、重ならない部分がどんどん崩されていく。
 
 (3)の場合、両者はぴったり一致している。二つに分けることができない。もはや生の円と死の円というものが最初にあるのではなく、真実には生死という領域3のアーモンド型部分のみがあり、一方で生の相という観点から仮に生の円(左側の円)を幻のごとく現出させ、他方で死の相という観点から仮に死の円(右側の円)を幻のごとく現出させている。二つの円(すなわち恒常普遍化された生の概念と死の概念)ははじめから存在しない。それは我々(というか無明)が作り出した幻である。しかしまた、我々が今現在、生死の中に存在しているということも事実なのである。
 
 以上は「色と空性」の説明ではなく「生と死」の喩えによる説明である。より正確に言えば、生死(している実相)が空性であって、死が空性なのではない。しかしながら、色への執着が強い場合には、色には確固たるものが何もないという空性が無のように思えてしまう。そこで今度は、「空性は、かならずしも存在の単なる否定・虚無ではない」ということがあらためて教えられなければならない。本来は「有・無」(または「生・死」)の議論と「色・空性」の議論とはきちんと区別しなければならないのだが、実践的には両者が重ねられて教えられる傾向にある。空性の概念をどのように整理すべきかは、次回にまた論じてみたい。
 
 
 色と空性を本源的に一つのものとするあり方は、両方の概念を混同することではない。それは、認識のあり方を根本的に転換することである。喩えとして円柱(または円筒)を認識する場合を考えてみよう。円柱(または円筒)は、真横から見ると□であり、真上から見ると○である。(長方形の場合が多いが。) 各相にこだわる段階は、いわば一方向から平面的にしか対象を見ないような認識態度であり、“それ”を見る段階は、各相を超えて円柱(または円筒)を全体として立体的に認識しているあり方である。そして、上記の三段階は、正面図(または側面図)と平面図でしか認識しない状態から、それらが一つのものを表わしていることを発見し、ついにはその全体のイメージを認識する状態へと進んでいく過程を暗示しているとも言えよう。円柱(または円筒)そのものは、自らの全ての相を内包していつつ、そのどれでもないのである。
 
 
 
 結果的に語られた内容は他の『般若心経』解説本と大差はないと思うが、このような説明のしかたは、おそらくこのブログでしか見かけないものだろう。ほとんどの『般若心経』解説本は漢訳をもとにして古人の注釈をなぞっているからである。サンスクリット原典をもとに解釈しようとした試みもあるにはあるが、私としてはしっくりこなかった。今回の私の解説においては、“the X”がどれだけ理解できるかが最も重要で、「色即是空 空即是色」を体得している人ならば、それをもとにして私の言わんとするポイントを容易に理解するはずである。そうでない人は、“the X”をどこかに探そうとせずに、分別を超える境地を探してみるべきである。そうすれば向こうから“the X”はやって来るだろう。
 
 おそらく私の解説は、ほとんどの人が注目しない“それ”の意義を強調した特異なものだろうが、この“それ”に参入していくことによって、数回後に解説する「諸法空相」が理解しやすくなってくる。今回はいわばその前ふりでもある。
 
 
 
 

 
 
 
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