« 最近読んだ本のリスト | トップページ | 『禅を楽しむ本』を読んで »

2009年4月27日

『密教法具に学ぶ』を読んで

 密教法具の意味についてよく知っておきたいと思っていたので、今井幹雄『密教法具に学ぶ―付・読経の精神と功徳』を読んでみた。この本には修法のやり方は出ていないが、法具の象徴的な意味が丁寧に解説されており、在家の人々が真言宗の勤行の仏教的意義を理解するのに役立つ。中級あたりに大いにおすすめ(★★★★★)の本である。

 まずは宮殿、秘仏、加持、脇侍の説明から始まり、ここで密教的世界(すなわち加持の世界)の大枠が提示される。さらに大壇、結界、金剛橛、多宝塔、五瓶、輪宝、羯磨の説明があり、法要のなかで加持がいかに象徴的に表現されているかが明らかになる。さらに礼盤、塗香、洒水、六器、金剛杵、五鈷杵、三鈷杵、独鈷杵、金剛鈴の象徴的意味について説明される。

 印や真言についてはまったく書かれていないので、それは各自で専門的な本を探してもらうとして、在家信者としては僧侶が何を意味してさまざまな所作を行なっているのかを理解するだけでも多くの功徳を得られるだろう。もちろん、学びはじめたばかりの出家修行者にも大いに参考になるはずである。深く観想してこそ個々の所作が加持されることになるのだが、この本にはその観想のためのヒントが多く隠されているように思えるからである。

 末尾にある「付 読経の精神と功徳」は非常に面白かったので、これについては少し詳しく書いておこう。

 この付論は、「人間死んだらお経の意味が判るようになるか?」という疑問から出発する。著者による答えは、読経は想念の浄化であり、読経者が自ら想念を浄めることが、他の人々や死者の例をも浄めることに他ならない、というものである。これは、心は孤立したものではなく、その深い所では他者とつながっている、という前提に基づいている。

 お経は声に出して読まれるものであり、またそれを自分の耳で聞くものである。読むことによって説法者である仏と一体になり、また聞くことによって修行者と一体になる。この二面は、下化衆生と上求菩提を意味しているとも言えよう。

真言宗には「我即大日」とか「凡聖不二ぼんじょうふに 」、あるいは「入我我入」「自受法楽」、更には「即身成仏」などという難しい言葉がありますが、読経こそがこれらを端的に実践するものであります。
と著者はいう。読経によって自ら法を語り、自らがその法楽を受けるのである。

 この付論で読経が自分の心や他者の心を浄めることはうまく説明されていると思うが、果たして死者の霊は存在するのかという現代人の疑問には十分には答えられていないようにも思える。しかし、そのあたりはまさしく信仰の問題なのかもしれない。私としては、お経を聞く人が心を浄められて、彼が故人の霊もまた心が浄められたに相違ないと信じることで、はじめて死者の霊にも功徳が加わっていくのではないかと思うし、たとえ死者の霊が存在しなくても生きている人々の心が浄まればそれでいいのではないかとも思う。
 
  
 


 
 
  
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ 人気ブログランキング
↑多くの人に読んでもらいたいので、この記事が参考になった方はぜひクリックをお願いします。
 
 
 

招待制の仏教系SNS      分野別・難易度別に整理
SNS仏教談話ネットワーク  おすすめ仏教書

 
 

 



|

« 最近読んだ本のリスト | トップページ | 『禅を楽しむ本』を読んで »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/68705/44810558

この記事へのトラックバック一覧です: 『密教法具に学ぶ』を読んで:

« 最近読んだ本のリスト | トップページ | 『禅を楽しむ本』を読んで »