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2009年12月 1日

『空海 塔のコスモロジー』を読んで

 武澤秀一『マンダラの謎を解く -三次元からのアプローチ』に引き続き、その姉妹編といえる同著者の『空海 塔のコスモロジー』を読んだ。内容が重なる部分もなったが、全体としてはそれほど気になるものではなく、むしろ簡単に解説してあるインドや中国の塔の歴史が思い起こされて、より楽しめた。また、この本で詳しく解説されている中国山西省の応県木塔(前掲書 117~131頁)は、それ自身が曼荼羅であることがよくわかる。初中級~中上級向きで、おすすめ度★★★★★の本である。
 


 
 今回は本の内容紹介ではなくて、読書後に思ったことを中心に書いていこうと思う。私の思いつきを参考にしてこの本を読むと、面白みが一段と増すのではないかと思うからである。
 
 私にとってこの本で得られた最大の収穫は、飛鳥寺や法隆寺など古代寺院の塔には、掘っ立て柱という神道の信仰形態が塔の心柱しんばしらとなって神仏習合しているという指摘である。
 
 諏訪大社などに典型的に見られる掘っ立て柱は、天と地をむすぶものであり、そこを伝って神々が天から地上に降臨すると信じられていた。とすれば塔には、仏という“神”が降臨する依代というイメージがあり、また塔自身が“御神体”だったのではあるまいか。なにしろ仏教が移入されたばかりの時代なのだから、昔からの信仰形式が混交してしまうのはむしろ自然な成り行きだろうし、彼らにとってそもそも仏は外来の“神”であった。ちなみに、心礎には仏舎利が安置されるのだから、降りてくる霊格は釈迦牟尼仏ということになる。
 
 建築様式の変遷をたどると、飛鳥寺や四天王寺では塔が寺の中心にあったが、やがて法隆寺や薬師寺のように塔が南北の中心線から外れて列柱回廊内で金堂と同じくらいの重みとなり、ついには東大寺の七重塔のように列柱回廊のつくる伽藍中枢から外に出されてしまう。もしも塔が神道的なモニュメントであるなら、仏教的な見地から塔がどんどん中心から排除されてしまうのも肯ける。
 
 塔がどんどん周辺に追いやられたのは、おそらく仏舎利が得られないという現実的な理由もあったのだろう。仏舎利がなければ塔はただの宗教的建造物にすぎなくなるからである。そこで、やがて仏舎利の代わりに仏像が仏を代表することになる。この場合には、釈迦牟尼仏以外も礼拝対象にできるというメリットがある。薬師如来や阿弥陀如来は架空の仏なので、当然その仏舎利は存在しない。だから、仏像を祀る金堂が寺の中心になっていくのは自然な流れなのである。
 
 これらの古代寺院の塔が天に向かって高く高く伸び上がっていくのに対して、密教寺院の塔では高さは競わずにむしろ深く象徴化していったと思われる。高野山金剛峯寺の大塔や根来寺の大塔は、むしろ五輪塔との関連で見るべきである。つまり、仏(大日如来)は天から降りてくるものではなく、五輪塔が表わす五大そのものであり、大塔の全体がそのまま“御神体”である大日如来を表わしているのである。
 
 
 塔の建築構造もまた興味深い。法隆寺五重塔の心柱は、屋根の頂部で周囲の建築部材によって支えられているものの、他の部分では接合されていない。心柱はいわば“大黒柱”ではなく、むしろ周囲に保護され支えられている存在なのである。中心に支えられて周辺があるのではなく、むしろ周辺が中心を演出し、また支えている。いかにも“日本的”建築構造である。
 
 かくのごとく中心は実用的なものではなく、むしろ象徴的なものだったのだろう。中心は必ずしも心柱でなくてもいいわけだ。かくして根来寺大塔の初層には中心として大日如来像が安置され、その真上の天井から心柱が立ち上がり、それが相輪まで接続している。ま、考え方によれば、大日如来の御霊(?)が心柱を伝って天から仏像内に降りてくる構造と言えなくもない。
 
 ちなみに、この本の写真(上掲書 56頁)をみると、薬師寺西塔の心柱の四方には仏像が安置されている。釈迦八相のうちの後半四相(成道・説法・涅槃・分舎利)を表わしたものである。各像は「西塔の仏様 釈迦成道像・初転法輪像・釈迦涅槃像・弥勒如来像 -薬師寺公式サイト」に写真があった。もしも出家(または苦行)・降魔成道・転法輪・涅槃の四相ならば、曼荼羅の東南西北に配当される発心・修行・菩提・涅槃と対応してくるようにも思うのだが、まあ、心柱を釈迦牟尼仏の“体”として、その四方に四つの“相”を置く(ただし分舎利にあたる弥勒如来像は例外)というやり方は、金剛界曼荼羅と同じ構造的発想だと思う。
 
 
 私は曼荼羅の発生過程を知りたくてこの著者の本を読んでいたのだが、こうやってみると寺院自体が全体として一つの“曼荼羅的な”構造をもっていることに気づいた。そのような観点から寺院に参拝すると、また一味違った体験ができるかもしれない。
 
 
 
 


 
 
 
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コメント

金剛居士さんの深い読後感に感じ入りました。私もこの本を読んでからコメントさせていただこうと思いつつ、徒に時間が過ぎてしまいました。
しかし、読み始めたら、ぐいぐい引き込まれました。仏教関係で、勿論ちゃんとした本で、この読みやすさはちょっと他に知りません。読者の理解を隅々にまで行き届かせようという著者の配慮がありがたい。

内容的には、金剛居士さんもご指摘のように、五重塔の本質は中国にはない心柱にあり、これは仏教伝来前からの列島在来の思想を体現しているものだという卓見ですね。予見にとらわれず、虚心坦懐に見てゆけば、確かにその通りだなぁと目からウロコでした。

また、そもそも伽藍そのものがマンダラなのだとしたら、日本の仏教界はエライ勘違いをしていることになるのではないか…? との思いも。
マンダラは絵、建築は入れ物と、別々にとらえてきた感はぬぐえませんね。いままで随分と視野狭窄に陥っていたのではないか…?

仏教の専門家でない、建築家の著者でなければ気づかない視点なのでしょうね。その故か、朝日新聞の書評でもトップにとり上げられていました。仏教界でも、もっと読まれていい本だと思うのですが、寡聞にして仏教界での反応があまりないようですね。黙殺しているのでしょうか。
仏教界は門外漢の言うことには総じて無関心なのでしょうか?
(その意味でも金剛居士さんのブログは貴重と思います)

投稿: ことだま | 2010年5月26日 12時28分

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