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2010年1月27日

般若心経解説(14)不生不滅

 

~ シリーズ最初からよむ人はこちら ~ 

(漢文読み下し)
 
生ぜず、滅せず

(梵文和訳)

(一切法は)生じたということもなく、滅したということもない。


 
 
 我々の日常的な判断からすると、事物は生滅しているし、きれい汚いの区別はあるし、増えたり減ったりする。だからこの経文の一節は特殊な事柄を言っていると考えられよう。文脈からいって、「不生不滅 不垢不浄 不増不減」は直前の句、「自性が空であるという特徴」を具体的に説明したものである。したがって、六つの「不」によって何もかもが否定されているわけではなく、自性(すなわち恒常不変の実体性)の存在が否定されているのである。

 喩えによって説明すると、「兎の角はもともと存在しないから、兎の角が折れることはない」という論理で考えると分かりやすいだろう。ここで、兎の角に相当するのが自性である。兎の角は、それがあると信じた者の心の中にだけ存在し、そのイメージの中でのみ折れることがある。だが、それは実際にはナンセンスなのである。では、まったくの虚無から兎の角というイメージが出てくるのだろうか。おそらくは兎の耳を角と思い違いしたのだろう。だから、兎の角があると信じ込むのには一定の理由があるし、また、兎の耳が曲がったときには兎の角が折れたと騒ぐだろう。しかしながら実際には、兎の頭にはもっと柔らかくて形が容易に変化して、しかもある一定の形を保っている耳があるのだ。兎の角という意味ではそれはまったく存在しないが、兎の耳ならば存在している。
 
 一般的にいって、我々は事物の中に兎の角のごときかっちりとした恒常不変の何かを想定しがちである。たとえば、我々は明日も明後日もその後もずっと生きていると信じている。そして、その前提の上で死を間近にしてあたふたする。だが、これはほとんど無意識的に起こっていることである。一方で、我々は意識的には兎の耳のごとくしなやかで変化に富んだ物的・心的な現象を受け容れている。たとえば、人間は生まれてからどんどん姿が変化して80年くらい生きればほぼ間違いなく死ぬと知的には理解している。だから、兎の角のごとき虚構・幻想の存在をあからさまに提示されても、それを非現実的だと理性的に反論できる。しかしながら、この非現実的な無意識的観念に影響されて苦しんでいることもまた確かなのである。
 
 
 さて、不生不滅は自性に関して言っているのであって、現象としては世界は生滅している。そして、何かが生じた段階で我々はそこに「何かが有る」と考え、それが永遠に続くと暗に仮定してしまっている。だから、それが滅したときに慌てふためくのである。かくのごとき“変わらぬものが存在する”という暗黙の前提に関して、「そんなものは生じたこともないし、だからこそ滅することもない」とこの経文では教えている。「それは幻だ」と言っているようなものである。

 実際、事物は生滅している。それは、さまざまな因縁(原因と諸条件)によって生じたり滅したりしている仮の存在である。そして我々は、そうやって現われてきたものに言葉というラベルを貼って、そこに「○○が有る」と存在性を与える。我々が日常的に意識しているのはこのレベルの世界である。ところがそう意識する背後に、そのラベルによって表示されている対象を実体化して捉えようとする心の働きが生ずる。そのときには、もはや事物がさまざまな因縁によって存立しているという事実を忘れてしまい、自分の付与した言葉でいくらでも対象を操作できると勘違するようになる。そんな言葉(がつくり出した対象)に関して、「そんなものは不生不滅だ」「幻のごときものだ」とこの経文は宣言しているのである。
 
 では、そのラベルを剥がしたらどうなるか。そこには因縁によって生起した対象が如実に現われてくるだろう。だが、その成立要件としての因縁の各々も、我々の付与したラベルではないのか。そのラベルも剥がし、そこに見出された因縁の各々のラベルもまた剥がし、そうやってどんどん剥がしていくならば、微細な構成要素に関しても「○○が有る」とは決して言えなくなる。だが、かといって全くの無だとも言えない。そのようにして事物の自性(すなわち実体性)の空を徹底していったところに現われてくるものを真空妙有という。

 真空妙有もまた別の意味で不生不滅である。「何かが有る」というラベリングを徹底して否定したところに真空妙有はあるのだから、そこでは「何かが生じた」とか「何かが滅した」とは決して言えない。しかしながら、頭の中にある恒常不変の実体とは違って、形なきものの集合体がそこに流れつつ有るというのも確かなのである。この宇宙が完全な虚無から生じ、また完全な虚無へと還っていくのなら別だが、少なくとも何百億光年の単位で考えないかぎり、真空妙有は新たに生じたこともなかっただろうし、それが滅することもないだろう。

 これは真如と呼ばれたり諸法実相と呼ばれたりしている。これは恒常不変の実体ではないが、延々と続いていくのだろう。不生不滅は、事物における自性という点では皆無を意味する。だが一方で、まったく自性をもたながゆえにそこに“何か”を捉えることができず、したがって“何か”が生滅するという生滅の相を超えて真空妙有が存在していることをも意味しているのである。




 
 
 
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