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2010年1月29日

『入門 哲学としての仏教』を読んで

 仏教の哲学的側面を高く評価している私としては、この本は非常におすすめ(おすすめ度★★★★★)である。専門用語がしばしば出てくるので、一通りは仏教の哲理を知っていないと理解困難な部分も多いと思われ、中級~中上級者向きである。だが仏教の門外漢でも、十分には分からないながらも現代の哲学的な主題に仏教思想がどのように答えうるのかを知る手がかりは得られるだろう。これをきっかけとしてもっと深く仏教思想を学んでみたいと思うようになるかもしれない。
 


 
 以下、私の難解な(?)私見が混ざった紹介になるので、この本よりも難しい内容かもしれない。(汗)
 
 章立ては以下のごとくである。
序 仏教はとても斬新な哲学である
第一章 存在について――本体なき現象の生成
第二章 言語について――その解体と創造
第三章 心について――深層心理の奥にあるもの
第四章 自然について――自己と環境の哲学
第五章 絶対者について――絶対無の宗教哲学
第六章 関係について――その無限構造の論理
第七章 時間について――絶対現在の時間論
結 「哲学としての仏教」への一視点

 この順番は、仏教思想を基本からおさらいするのに好都合である。仏教にはさまざまな学派・思想があり、相互に対立するような部分もあるにはあるが、その根本的部分をしっかりおさえながら学んでいくと、仏教を全体として理解できるようになる。
 
 「存在について」の章では、説一切有部の存在論(五位七十五法)が紹介されている。これは仏教を語るうえでの基本語の集成であると言えよう。そこから世界像が構築されるのであれ、それらの基本語が空の教えによって否定されていくのであれ、とにかく仏教的視野がこの基本語をもとに展開する。
 
 「言語について」の章では、五感によって知覚されるその現場(の世界)から対象の存在を再考することを提起する。対象が最初にあるのではなく、色や形や音や匂いなどの知覚内容が最初にあって、それらを素材にして、言語を認識の枠組みとして対象を主観的に構築しているのである。
 
 そのような主観的に構築された世界を、心の構造という観点から究明したのが唯識仏教である。だが、その深層心理たる阿頼耶識よりももっと根本的なところに仏性(あるいは如来蔵・真如)が存在し、心の深みを探求していくと、そこには、万物が密接に関わっている真実なる世界が展開してくる。
 
 「自然について」の章では、最初は唯識哲学を拠り所として自己と環境との関係性が論じられているが、ここは多少問題がある。私としては、阿頼耶識の相分は外界ではなくて各人の心と見なすべきと考えているからである。カント哲学の用語を使うなら、個体が外界と実質的な関係を持つのは物自体においてであり、阿頼耶識の相分は、その物自体に触発されて生じた(主観的)現象だと思うからである。ここで“主観的”といっても、それは客観を全く反映していないという意味ではない。もし全く反映していないのならそれは仮象であるが、現象は人間の認識形式に基づいて物自体を反映している情報である。その情報が正確であればあるほど物自体への対処は有効なものとなろう。
 
 私見では、カント哲学における物自体は、現象学的世界観の中で言えば真如に対応するものである。ただしそれは、物自体も真如もともに多様な現象を生じさせる根源に位置づけられるというだけであって、仏教では一切の実体を認めない(真如もまた空である)から、物自体と真如とはその存在様式が全く違う。しかしながら、主観に与えられる現象としての情報世界を越えて他者と関わるためには、そのような絶対者的な何かを仮定する必要もある。
 
 「関係について」の章では、華厳哲学が紹介されている。私としては、物自体が認識できるとしたヘーゲル哲学と比較してみるとよいのではないかとも思う。個は、他を情報として主観的知のなかに取り入れるのではなくて、関係性のなかですでに他を取り入れている。他との関係性の中でこそ個が個として成立するのだが、唯識的な立場から言えば、「主観の中でそう思っているだけ」ということになるのかもしれない。(苦笑) インド成立の唯識哲学は多分に瞑想的・観念的だが、華厳哲学は中国成立であり、その背後には強い現実主義が浸透している。だから、他と具体的に関係する事態をうまく捉えている哲学であるとも言えよう。、
 
 「時間について」の章では、道元の「有時」の説明が平易になされていて感心した。この章では絶対現在を根本において時間を考えるべきことを論じているが、哲学的な時間論としてはいま一つインパクトがないような気がする。
 
 この本は「入門」となっているように、哲学としては導入的な紹介でしかない。仏教哲学の紹介としては、少ない紙幅でかなり成功しているとは思うが、初心者向けに手取り足取りとはいかない。だが仏教的な知的世界へのいざないとしてはうまくいっているのではないかと思う。 
 
 最後に、どうでもよいことだが、著者はときどき語呂合わせで遊んでいる。

仏教では「兎角とかく亀毛きもう」をとかく持ちだす。それはともかく……
唯識哲学が……日本にも将来されて、南都六宗なんとりくしゅうの一つとなった。……当時のインドの最新の哲学が、ほとんど時を隔てずに、なんと南都において研究されるようになったのである。
ま、新書判にてムズカシイ本を書くときの一つの楽しみなのかもしれない。(笑)
 
 
 
 

 
 
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