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2010年1月14日

『比叡山と天台のこころ』を読んで

 

 天台宗の思想を把握しておこうと思っていたところ、杉谷義純『比叡山と天台のこころ』という本が最近出版されたので、読んでみた。最澄,円仁,良源,源信,天海の五人が天台宗において果たした役割を簡潔に紹介していて、天台宗の歴史の重要ポイントをつかむのに非常に便利な本である。初級~中級向きで、おすすめ度★★★★★である。
 


 
 まず、本の内容を簡単に紹介しておこう。
 
 日本天台宗の祖である最澄の関しては、彼の「願文」を解説しながら天台宗の基本的あり方を明らかにしようとする。天台仏教の大成者である円仁に関しては、最澄がやり残した天台密教確立のために入唐した経過が簡単に紹介されている。あまり詳しくはないが、天台密教が『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の三部構成になっているという点まで言及されている。天台宗の中興の祖である良源に関しては、天台宗が奈良仏教の勢力と互角以上の力を獲得していく過程が宗論という側面から紹介され、また、彼の「草木成仏」の思想も簡単に紹介されている。これに関連して唐の湛然の草木成仏の思想が比較されている点は興味深い。日本浄土教の基礎を築いた源信に関しては、最澄によって伝えられた常行三昧(念仏しながら阿弥陀仏の周囲を歩み続ける行)から法然や親鸞の浄土教への橋渡しをする役割として捉えられるようになっている。天海については、江戸時代を作った天台仏教者という位置づけである。
 
 そのほか現代の天台宗の活動として「一隅を照らす」精神の実践について述べられていたり、宗教・宗派の共生という天台宗的(一乗仏教的)な考え方の延長として宗教サミットに言及したり、千日回峰行の葉上阿闍梨や、はたまた瀬戸内寂聴の出家の話まで出てくる。
 
 思想などをきちんと把握するのにはちょっと不足であり、せいぜいそのガイドラインを得られる程度である。しかしながら、この本はむしろ彼人らの物像というか人間性のようなものを描き出そうとしているように思われる。その意味で一般の人々をも引き込む内容になっている。
 

 
 私が興味深かった点をちょっとあげておく。著書を引用して私の見解を提示するので、その点はご了解のうえで読んでいただきたい。
 
 まず、法華経のとらえ方である。「根本法華」「隠密法華」「顕説法華」の三種の『法華経』があるとする。
 根本法華とは、釈尊が開かれた悟りの内容そのものをいい、言葉では簡単に表現できない深遠なものです。隠密法華とは、『法華経』と経題はつけられていないものの、根本法華を理解するための手立てが説かれている『法華経』以外の諸経典をいいます。そして顕説法華とは、機縁が熟して釈尊が本懐とした、すべての人が救われる一仏乗の教えを言葉に表した『法華経』そのものをいいます。(上掲書 212頁)
 根本法華は、そのまま仏陀の悟りの境地、真如と言い換えてもよいのではないかと思う。するとこれは密教と同じだと考えることもできる。これは円仁の円密一致の思想の基礎となるのではないかと思われる。以下は円仁の考え方と微妙に異なるのだろうが、その密教を修法という形で説いたのが『大日経』などの密教経典であるならば、それらは「隠密法華」と解することもできる。なんでも『法華経』(という名称の経典)が一番という考え方には辟易としてしまうのだが、「根本法華」が一番というのなら十分に了解できるし、さらに言わせてもらえば、そのときには「法華」という言葉は消滅して「根本仏」となるのではないかと思う。天台宗を理解するためにはそこまで視野に入れておくべきである。
 
 第二に、源信の浄土教の理論的背景である。
 源信の説く浄土教は当然、仏教の都合のよい部分を取り出したものではなく、諸法実相論の裏づけがあるのです。すなわち、観想する阿弥陀仏は、他の諸仏とは全く別の存在ではなく、その本体は同体であり、かつ凡夫と一体不二の存在であるのです。それゆえ、煩悩にまみれた凡夫も、発願すれば成仏できることになるのです。(上掲書 143頁)
 諸法実相は真如であり、そこから凡夫のところにやって来るのが如来である。阿弥陀如来も釈迦如来もこの同一構図のなかで捉えられるし、一方でその真如たるや仏性として凡夫のなかにすでに存在している。救いは西方の彼方からやって来るばかりでなく、内なる仏性からもやって来る。否、内なる仏性からやって来る救いの現象が、あたかも西方からやってきたかのように見えてしまうのである。このような眺望のもとに浄土教を理解すれば、その後の浄土宗や浄土真宗などへの発展過程も統合的に捉えやすくなるのではなかろうか。
 
 第三に、唐の天台宗六祖湛然たんねんの「草木成仏」論である。
湛然が考えた草木成仏とは、草木が単独で成仏するのではなく、人間が修行をして悟りを開いたときに、その人の住む世界の草木は、その人の悟りの心を通じて成仏するというものです。
 これは湛然の「依正不二えしょうふに」という考え方に基づいています。人間やそれを取り巻く環境は、過去のいろいろな因縁の結果、すなわち報いによって今日存在するのであるから、身心を正報、環境を依報と名づけました。そして主体たる正報と、それを存在たらしめている依報は、本来別々の存在でなく一体不二のものだとしています。ですから人間が悟れば、その世界の草木も成仏することになるわけです。非常に唯心的な世界観といってもよいでしょう。(上掲書 110-111頁)
 これは、ただ一点を除いて非常に真っ当な議論である。その一点とは、真如として現われてくるとは考えずに成仏すると表現した点である。草木自身に心があるわけではないのだから、それは正報としての人間(仏陀)の心が投影されたものである。それは非常に微細な心なので、草木自身に内在すると誤認されるのは仕方がないし、また、それだけ微細な心は草木自身の活動に影響を与えてしまうのかもしれない。だが、草木自身が主体的に悟りを開く(成仏する)ということはないだろう。ところが良源はこの成仏と真如(ないし自然 じ ねん)を混同してしまったので非常に誤解を生ずるような「草木成仏」論を展開してしまったと言える。
 
 
 天台宗の僧侶からはいろいろと批判がある見解かもしれないが、参考までに提示した。
 
 
 
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